「電車男」現象について
話題の「電車男」だが、ネットの広がり方について確認したい。
まず、2ちゃんのスレッドとして始まり、それが「やじうまWatch」に取り上げられ、その後、CNETの梅田氏のblogに書かれた。こうして何段階かで広がった「電車男」は読んだ人たちの共感から各自のblogで取りあげられ、さまざまな解釈がなされている。(このポストもその一つだが)
ここで、私の立場としては、「電車男」の面白さはそのストーリーではなく、主人公=電車男を応援するというスレ住人がいる場への各人の関わり方にあると考える。電車男が「出撃」(デート)しているときに、まだ帰ってこないのかー、と待ちこがれ、いたずらにスレを消費する姿にこそ、醍醐味がある。
もちろん、ストーリーは、ハリウッドの黄金律にも似た構成になっている。(これがリアルタイムで進行したことに改めて驚く)
ハリウッドの定番は、旧世界にいる冴えない主人公が、ふとしたきっかけで新しい世界へと旅立ち、そこでさまざまな人々に出会い、力を借りながら苦難を乗り越え、最後は自分だけの力で究極の敵/課題/目標を倒す/達成する。そして、その英知をもと居た世界に伝えるが、主人公にとっては、それは昔と同じようには見えなくなっている。つまり、成長した自分に気がつく。
こうしたハリウッド黄金律は、「オズの魔法使い」「スターウォーズ」「マトリックス」などでおなじみのものだ。
(あと、2ちゃんでスレがなくなった今、うまくゴミ書き込みを消し去った名編集をした「中の人」の存在も指摘しておきたい)
また、電車男と24(トゥエンティーフォー)の関係性についておぼろげに考えていたときに、同時進行をキーワードにずばり指摘しているblogがあったのはびっくりしたが、私は、むしろ「信頼」についてのアプローチがまったく違うことの逆説的な近さを指摘したい。誰も信頼できないところに追い込まれているジャック・バウワーと、(ほぼ)すべての人(スレ)を信頼する/信頼するしかない電車男。
あるいは、極めて現実っぽいフィクションと、極めてフィクションぽい現実。
あと、ポストモダン的な言説で解説してみせたこのblogも面白い。時間に屹立する「詩」であるという指摘は鋭い。
しかし。何でこんなに語っているんだ>自分

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